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2006年12月29日 (金)

作家として誇りに思う

カンニング・中島さんのご冥福をお祈りします…。

カンニング竹山さんとは特番などで何度かお仕事をさせてもらったことがある。

カンニングのお2人と本格的にお仕事させていただいたのは、2004年12月。

そう、カンニングが2人揃って仕事をした最後の日。

その日、ラジオ番組のコーナーに出演してもらった。

スポンサー絡みの営業コーナーであったものの、私は2分半程度の軽いコントを書かせてもらい、カンニングのお2人に演じてもらった。

(芸人さん自身がコントを書く場合も多々ありますが、この場合はスポンサー絡みということで私が書かせていただきました)

コントの台本の中には、ある四文字熟語が登場した。

竹山さんは、それを間違って読み、中島さんは「これは××じゃなくて○○と読むんやで」と教えていた。

そのやりとりは、とても日常的でナチュラルで「あぁ、このコンビはこうして成り立っているんだなぁ。ステキ!」と私はイッチョマエに思った。

結果として、そのコーナーは大成功だった。

カンニングのお2人が、いい塩梅のテンション、そして絶妙な間で演じてくれ、私は局の営業担当の方にほめられ、感謝されたのである。

あれはカンニングのお2人が演じてくれたからこそ、いい具合に仕上がったのだ。

カンニング中島さんが亡くなったことを知った私は、2年前のこのときの台本をパソコンのファイルから開いた。

そこには、本編で使用した台本のほかに、私がその台本を書くために、カンニングのお2人について調べたメモも出てきた。

その一行目には、中島さんが結婚して間もないことが記されていた。

それを見て、とても切なくなった。

12月21日、私は真心ブラザーズとサンボマスターのライブに行った。

そこでサンボマスターの山口さんが、カンニング中島さんに捧げると、一曲歌った。

サンボマスターとカンニング竹山さんが初めて一緒に仕事をしたのも、私がやらせてもらっているラジオ番組だった。

山口さんも2人揃ってのカンニングといつか仕事がしたいと思っていたのかもしれない。

12月24日、私は中島さんの告別式に参列させてもらった。

若手芸人など、事務所の方が一丸となって行われた温かい告別式だった。

なぜか、涙がたくさん流れた。

カンニングの2人が揃って最後に仕事をした日、一緒に仕事をさせていただいたこと、しかもコント台本を書かせてもらったことを、私は、本当に本当に作家として誇りに思う。

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2006年12月17日 (日)

購買欲をかき立てた映画

それは『プラダを着た悪魔』。

少し前の話になるが、公開とほぼ同時にディレクターの友人と観にいった。

観終わった時の私と友人の感想は…「買い物したい!」であった。

さっそく2人で映画館の近くにあるセレクトショップへ。

私が彼氏役、友人が彼女役になり、ラブラブ恋人ごっこをしてみた。

彼氏役の私「その服、すごく似合うよ」

彼女役の友人「ほんとう?」

彼氏役の私「そら、いくら??」

彼女役の友人「8万円」

彼氏役の私「すごく似合うからプレゼントするよ」

彼女役の友人「ほんとに!? いいの?」

彼氏役の私「あぁ、もちろんだよ」

素の私「なぁ~んて彼氏と付き合わないとダメだよねー」

素の友人「うんうん!」

素の私「でもさ、だから私たち、彼氏もいないし、結婚もできないんだね」

素の友人「うん、うん…」

はい、私たちはしっかりわかっています。自分たちのことを。

でもこんなごっこにのってくれる友人ってありがたい。

だって、この友人もこのごっこもお金じゃ買えないプライスレスだから。

ちなみにこの1ヶ月で6本の映画を観た。

「7月24日通りのクリスマス」「武士の一分」「木更津キャッツアイワールドシリーズ」「手紙」「硫黄島からの手紙」

私が特に面白いと思ったのは「手紙」「プラダを着た悪魔」「硫黄島からの手紙」の3本。

まだまだ観たい映画がいっぱい! 今月はあと何本観ることができるだろうか?

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